>>瓦版トップ >>155号トップ >>特集 文豪の素顔を語る手紙たち
Illustration:Kawabata Yukiko
 漱石(そうせき)、芥川(あくたがわ)、太宰(だざい)など、文豪たちの手紙は、それぞれの素顔を語る。そして、それぞれの手紙と素顔には、彼らのひたむきな思いの強さが宿る。

「昔から好きでした」。芥川の告白
 「恋愛は唯(ただ)性慾(せいよく)の詩的表現を受けたものである」
 「私(わたし)はどんなに愛していた女とでも一時間以上話しているのは退屈だった」
 と、懐疑的にシニカルに、恋愛を見つめた作家芥川龍之介は、大正6年25歳のとき、17歳の乙女に手紙でプロポーズをした。

 ちなみに、芥川龍之介は、教科書の写真でもおなじみの、アゴに手をあて眼光鋭い蓬髪(ほうはつ)の、気難しそうな文豪だ。

 文ちゃん
 …文ちゃんを貰(もら)いたいという事を、僕が兄さんに話してから何年になるでしょう。貰いたい理由は、たった一つあるきりです。そして、その理由は、僕が文ちゃんが好きだと云(い)う事です。勿論、昔から好きでした。今でも好きです。

 僕のやっている商売は、今の日本で一番金にならない商売です。その上、僕自身もロクに金はありません。ですから、生活の程度から云えば、いつまでたっても知れたものです。それから、僕は、からだもあたまも、あまり上等に出来(でき)上がっていません(あたまの方はそれでもまだ少しは自信があります)。うちには、父、母、伯母と、としよりが三人います。それでよければ、来てください。

 僕は文ちゃん自身の口から、かざり気のない返事を聞きたいと思っています。繰り返して書きますが、理由は一つしかありません。僕は文ちゃんが好きです。それだけでよければ、来てください。

 この頃(ころ)芥川は、学生時代に書いた短編小説「鼻」が、夏目漱石に絶賛され、文壇にデビュー。明るい未来が見え始めた時期ではあるが、約束された明日はない。この文面通りの頼りない若者だったが、彼の文学作品からは決して想像できない、易しく飾り気のない告白は功を奏し、2年後2人は結ばれ、やがて3人の男の子に恵まれることになる。

借金を断り相手を励ました夏目漱石
 芥川龍之介の才能を見抜いた国民的小説家夏目漱石は、ある物書きからの借金の依頼を、ざっくばらんに手紙で断った。

 御手紙拝見
 折角(せっかく)だけれども今は貸してあげる金はない。家賃なんか構やしないから放っておき給(たま)え。僕の親戚の不幸があってそれの葬式其他(そのた)の費用を少し弁じてやった。今うちには何もない。僕の紙入れにあれば上げるが夫(それ)もからだ。
 君の原稿料を本屋が延ばす如(ごと)く君も家賃を延ばし給え。愚図(ぐず)々々云ったら、取れた時上げるより外に致し方ありませんと取り合わずに置き給え。
 君が悪いのじゃないから構わんじゃないか。 草々

 冒頭はきっぱりと断り、そっけなく感じられるが、貸せない理由をきちんと伝え、自分の財布まで広げて見せる。さらには、家賃の滞りを出版社のせいにして開き直れとまで言い、激励している。やや乱暴だが、滑稽(こっけい)で人情味のある語り口は、「吾輩(わがはい)は猫である」や「坊ちゃん」などに描かれているユーモラスな登場人物を彷彿(ほうふつ)とさせ興味深い。

 日本屈指の小説家は、処世においても細やかな配慮を怠ることなく、痛快に日々をやり過ごしていたようだ。

樋口一葉の紅葉狩りの誘いの手紙
 さて、お金の苦労といえば、夭折(ようせつ)の天才女流作家樋口一葉が思い出される。後年皮肉にも、5000円札のモデルとなった。生活苦にあえぎながら小説家を目指し、森鴎外、幸田露伴に作品を絶賛されるも、結核で24歳の短い命を閉じた。文学に身を献じるように生き急いだ、けなげで壮絶な彼女の生涯にも、忙中暇あり。紅葉狩りを楽しむ一日もあったようだ。

 今日はいとのどかなる空の色に候(そうろう)。よもや時雨(しぐれ)もかかるまじく、去年のように途中より引き返す憂(うれ)いはあるまじとおぼえられ候まゝ、只今(ただいま)より滝野川の紅葉見に参り度(たく)お誘い申上(もうしあげ)候。一昨日の日曜に従兄弟(いとこ)の参りし時はや十分の紅(くれない)と申候(もうしそうら)いしを、今日頃はさのみに人も多からで、水にうつれるおもむきなど、静かにもてはやす事(こと)かなうべくと存じ候…

▼[現代語訳]今日はとてものどかな空の色でございます。まさか時雨も降ることなく、去年のように途中で引き返す心配もないと思いますから、ただいまから滝野川の紅葉狩りにまいりたく、お誘い申し上げます。一昨日の日曜日に従兄が行ったときは、はやくも十分な紅葉だったと申しておりましたし、今日あたりはそれほど人も多くなく、紅葉が水面にうつる趣なども、静かに観賞することができると思います。

 雅文(がぶん)調の美文が、清潔な艶(つや)を湛(たた)える紅葉を連想させ、「水にうつれるおもむき」を味わうために、思わず誘われてしまいそうな気がする。

ノーベル賞作家川端康成に潜む小悪魔
 誘い上手は一葉のみならず、人心について考え尽くした他の文豪も、すべからく誘惑の名手だ。ノーベル賞作家川端康成は、書簡体の短編「父母」の中で、中年の小説家の心を翻弄(ほんろう)する少女に、短い別れの手紙を書かせている。少女は中年小説家の昔の恋人の娘、という設定。2人は軽井沢で出逢(であ)い、少女のいでたちは、「日灼(ひや)けして、むろん思いきり短いスカートで、軽井沢避暑令嬢の眺め」。その別れの手紙は、「少女のテニスのような下手な字」だった。

 東京へ帰ったら、たぶんもうご交際できませんから、よろしく。
 私は忘れますけど、あなたは覚えていてください。

 さりげない拒絶と毅然(きぜん)とした誘惑。永遠に余韻の残る杭(くい)を、少女は中年男の心に打ちつけた。怜悧(れいり)重厚な白髪の文豪に潜む、小悪魔的少女を垣間見ることができる。甚だしいイメージの違いが、心地よいめまいを誘う。

太宰治の究極絶世のラブレター
 この川端康成が、第2回芥川賞の選考委員だったとき、芥川賞の授賞を求める懇願の手紙を書いたのが、太宰治だ。

 「晩年」一冊、第二回の芥川賞くるしからず …何卒私に与えてください …私を見殺しにしないでください きっとよい仕事できます …ちゅう心よりの 謝意と誠実 明朗 一点やましからざる 堂々のお願い すべての運を おまかせ申し上げます

 などと切々と苦境を訴えながら、授賞を願い出た。

 今では川端に比肩し、川端以上に若い人々の心をとらえ続けている太宰が、なんと恥さらしな女々しい懇願をするものだと、意外な素顔を暴露する手紙として、しばしば紹介されてきた。

 しかし、そうだろうか。この懇願状には太宰の特有の人を喰(く)ったリズムがあり、ペルソナの裏の不敵な微笑が感じられる。要するに、本心ではない。

 太宰の本心は、女性と共(とも)に玉川上水に入水する2年前、終戦直後の昭和21年、37歳のとき、愛人太田静子に宛てた手紙に見ることができる。
 究極のラブレターとして、今に伝わる。

拝復 いつも思ってます。ナンテ、へんだけど、でもいつも思っていました。正直に言おうと思います。おかあさんが無くなったそうで、お苦しい事と存じます。
いま日本で、仕合せな人は、誰もありませんが、でも、もう少し、何かなつかしい事がないものかしら……青森は寒くて、それに、何だかイヤに窮屈で、困っています……旅行の出来ないのは、いちばん困ります。
僕はタバコを一万円ちかく買って、一文無しになりました。一ばんおいしいタバコを十個だけ、きょう、押入れの棚にかくしました。
一ばん、いい人として、ひっそりと命がけで生きて下さい。
コイシイ

 なんとはない身辺雑記の余白に、小さく一言「コイシイ」の文字。幾多の作品により、饒舌(じょうぜつ)に高らかに己を語った小説家は、言葉寡(すく)なにさりげなく、絶世の恋文、美しい素顔を遺した。

なかがわえつ■1954年東京都生まれ。文筆家。明治、大正、昭和の作家、著名人の生活手紙文を集めた評論集「名文に学ぶこころに響く手紙の書き方」(講談社+α文庫 )など、著書多数。

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